
私は、36歳の時に渡米した際に、ニューヨークのカイロプラクティックの現状を見て回った。
海外の手技療法のレベルを知って、日本の整体がどの位置にあるのか確認できた。
「日本の整体は世界に通用する!」
私は、そう確信して自信を深め、ますます仕事に没頭した。40歳の時に、ある出版社の推薦で腰痛神の手15人の1人に選抜されたのをきっかけに、ホノルルマラソンでメンテナンスブースを担当することになった際には、日本の整体が世界各国のランナーに喜ばれることを実感して身震いした。
腰痛に苦しむ人は、世界中に存在している。便利であらゆるものがある現代においても、腰痛領域の課題は山積みなのだと思った。
私の中に、何かが芽生えた。
私は、整体の価値を一般化して、多くの人を救いたいと思った。
私は、17歳の時に突然腰を痛めた。
私にとってこの時期は、受け入られないくらいに苦しい時期で、歩けないし動けないのだ。
とにかく苦しかった。
病院や整体でも治らなかった。
先が見えないような気がした。
私は、今に至るまで、私自身の腰痛から多くのことを学んできたのだ。
「なぜ自分だけが?」
わたしは、仕方なく自分を騙した。
自分を騙し騙し、腰痛に慣れながら生活しているうちに運動も出来るようになってきた。わたしは、人は不自由にも慣れてしまうことを知った。
そんな時、私はキックボクシングと出会い、キックボクサーの道を選んだ。
腰痛の不安はいつもあったが、私はまだ10代で若かった。
私は、ファイターになってとにかく試合数をこなした。
やんちゃだったから暴れ馬なんて言われたこともあった。
そして、私はついに憧れのプロの世界に立った。
完全非接触整体トレテク
株式会社ベストバランス
代表 中村 篤史
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